日差しが暖かく、春らしくなってきましたね。
呪いなんていうと大げさですが、私は子供のころからの刷り込み?思い込み?で、
「大きくなったら保育園に子供を預けてガンガン働くものだ」という価値観で育ちました。
そうして生まれた長女は、0歳児クラスから保育園に通う日々と相成りました。
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ですが、いろいろ思うところもあって
4月からわが家の子供たちは幼稚園に転園します。
娘を保育園に通わせていた期間は4年ですが、
私自身0歳から保育園っていた身からすると、
30数年来の当たり前だった価値観とは別の世界に飛び込むこととなり、
(通うのは娘たちですが(笑))
感慨深いような、ワクワクするような気持ちです。
祖母は共働き・核家族世帯の走りだった
私の祖母(母の母)は、今でいうワーママ(ワーキングマザー)の先駆けだったのかもしれません。
お互い7人や5人も兄弟がいるような家に生まれたという祖父と祖母。
終戦後、地元を離れ、裁判所に就職し、そこで職場結婚。
夫婦2人でアパート住まい、そこで生まれた子供の一人が、私の母です。
育休制度なし!?昭和の核家族・共働きだった祖母の子育て
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こうしてスタートした核家族・共働きの日々。
昔なので、育児休業のような制度はなかったそうです。
親戚の家に赤ちゃんを預けて
祖母は職場の昼休みに、親戚の家までの何kmかを歩いて往復し
お乳をあげに行っていたようです。
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すごい時代ですね。
その後、母は当時できたばかりの保育園というものに通って育ったそうです。
定年まで働いた祖母のその後
祖父母は、55歳の定年まで働いてから、その後は悠々自適にくらしています。
(昔の公務員なので、55歳定年だったそうです。)
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祖母は私と56歳差なので、私は定年後の祖母しか知りませんが、
お金に困ることなく、
趣味の園芸や畑、絵や書道、スイミング、編み物などを楽しんでいた姿が印象的でした。
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定年までフルタイム勤務で走り続けた母
私の母は、祖父の「教師はいいぞ」という刷り込みもあってか
祖父母と同じく公務員になりました。
本人曰く「いつでも専業主婦になるよって、お父さんには言ったんだけど・・・」といいながら
海外旅行にパチンコに外食にお酒に、と浪費好きな(笑)父の希望もあり、
定年まで仕事を続けていました。
「働く母」だった母の苦労
第一子である私の上のきょうだいが生まれたときは、
年度の途中で保育園に入れることができなくて
近所にベビーシッター募集の貼り紙を貼って回ったそう。
当時未婚だった叔母(母の妹)は、
新幹線で数時間の距離にある他県まで、たびたび子育てのヘルプに呼び出され
通院などの手伝いをしてくれたそうです。
「お母さんあなたね・・・」と小児科でお説教された時に、
『私は母親じゃないんだけどな~』と思った記憶があるそうです。
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私自身は小さい頃すぎて、叔母に面倒を見てもらった記憶は
ほぼないのですが、この話をきいてから叔母には頭があがりません。
「働く母」としてフルタイム勤務を続けた、母のその後
その後も、母は懸命に仕事を続け、
父の単身赴任(平日はワンオペ育児)や、受け持ちクラスの学級崩壊、
管理職昇進試験、資格取得、異動・左遷など荒波を乗り越え
最終的にはかなり責任のあるポジションまで昇進して、
定年をむかえました。
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定年後は資格を生かしてお小遣い稼ぎのアルバイト(なんと日当2万円とのこと・・・!!)を月に数回しながら、
趣味の運動や洋裁、祖母の介護通いなどを続けています。
フルタイム・共働き・保育園までは、同じ道を行った私
そんな環境で育ったので、私自身も保育園児の頃から
自分は大人になったら子供を保育園に入れて働くものだと思っていました。
お祖母ちゃん、お母さんと続いて、気持ちは「私が3代目!」です。
「保育園育ちの方が子供はたくましく育つ」
「幼稚園の子って時計の読み方や、字の書き方の勉強をしているらしい。バカバカしい」
「専業主婦って働かないで何してるんだろ?」
みたいなことを考えている幼児でした。
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だいぶイヤな幼児ですね・・・
保育園で育った子供は、周りの友達も親が共働きをしている状態が当たり前なので
それ以外の家庭のことをあまり知らないんですよね。
(ちなみに小学校に入った後も、平日は学童に通っていたため
保育園からの友達以外のお家に遊びにいくことはほぼありませんでした。)
幼稚園のことはウワサ程度で断片的に聞きかじっていましたが、
保育園児であることに誇りを持っていた私は、
よく知りもしないで幼稚園や専業主婦に対して批判的な気持ちを抱いていたのでした。
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子供を産む頃には、
さすがにそこまでの偏見はなくなっていましたが・・・
24時間べったり子供と一緒にいる子育てに自信がなかったこともあり
1歳のタイミングで長女を保育園の0歳児クラスに入れ、復職しました。
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産休・育休を取ってみての感想ですが
会社員として勤めるより、24時間体制で家事&育児コンボの方が精神的にかなりしんどかったです。
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家事と育児を1年365日こなす専業主婦の方は
とても偉大な仕事をしていたんだなと思いました。
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祖母と母が進んだルートから外れて、途中下車してみた
保育園には長女が4年、次女は2年お世話になりました。
ですが昨年、私があまりの激務に耐えかねて仕事を辞めたことをきっかけに、
ふっと違う選択肢が見えてきたのです。
私が会社員を辞めるまで
第二子産休育休からの復職当時、私は正社員で働いていました。
入社当初こそ「合わなければすぐに辞めればいいや」程度に思っていた会社も、
長年続けるうちに、高くはないですが生活に困らない程度の給与はいただけるようになり
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(といっても年収400万円くらいでしたが・・・)
気心の知れた同僚たちと、やりがいを感じながら仕事をしていました。
一方で、パワハラ・モラハラ・長時間残業の宝庫でもあった会社で
長年勤めて責任のある立場になると
度重なる同僚たちの離職から生じる、慢性的な人手不足の大波を
真っ向から受け止めることを求められるようになりました。
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大量のやらなければならない仕事。
家族の時間がもてない、睡眠時間がとれない、健康はおろそかになる、
趣味や勉強の時間もとれない、給料はこれ以上あがらない
会社のブラックな体質は今後もきっと変わらない。
ないないづくしの環境が、背中を押してくれました。
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辞める直前の1か月くらい、心臓のあたりが痛くて(比喩ではなくて本当に)
まじで続けてたら急死してもおかしくないなと思っていました。
会社員人生を降りるのは、勇気がいることだった
3歳と2歳の幼児を抱えて、35歳を過ぎて今より良い条件で転職できるのか?
一度仕事を降りてしまったら、
もう正社員として年収を500万、600万、700万と上げていくようなキャリアアップは望めないのではないか?
時給1000円ぽっちで、大したやりがいもなく、人間関係もしんどいようなパートしか
できなくなってしまったらどうしよう?
そんなことを考えていた気がします。
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どんなにしんどい環境でも定年まで勤めきり、
豊かな老後を送っている母や祖母を見てきたからこそ、
ここで降りていいのか??という葛藤がすごかったです。
降りた先の景色は、今のところ楽しい
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祖母のところへ家族4人で帰ったのは初めてです。
結果的に、私は会社を辞め、転職活動も3社受けただけでやめてしまい、
開業届を出して、
名ばかりフリーランスになりました。
現在は、このブログのように「将来稼げるようになるかもしれない種」をコツコツまいてみては
芽が出るかなぁ、育つかなぁと興味のおもむくままに試しています。
優雅だなと思われるかもしれませんが、
現在の収入は、ぶっちゃけ会社員時代の数百分の1とか数千分の1とかです。
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会社員時代、そこそこ仕事ができる自信があったのですが
自営で稼ぐ能力が低すぎて、自分でもびっくりしています。
その代わり、時間にかなり融通がきくようになり
家族の時間も、自分の時間もとりやすくなりました。
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子供と余裕をもって接することができるし、
睡眠とか、自分の通院とか、後回しにする必要がなくなりました。
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時間があっても、家事は適当なことがわかりました・・・(コソッ)
幼稚園+預かりという選択肢で得られるもの
そんな変化のなかで、4月から子供たちは幼稚園と幼稚園内の預かりを利用する予定です。
送迎やお弁当作りに時間がかかったり、
保育園ほど預かりが手厚くなかったり(預けられない日がある)、
保育園と比べて余分な費用がかかったり
今の園に比べて不便な部分もあります。
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が、今の家庭状況なら、すべて許容範囲内です。
園庭も格段に広くなり、設備や絵本も充実していて、必要があれば園内完結で習い事もできる。
子供の興味関心を伸ばす環境が整っている。
幼稚園はお昼寝がないので、夜更かしをせず、規則正しい生活ができる。
今の保育園でかかっているような、親の負担(保護者会の係の強制や年数回の懇談会など)が減る。
そんな理由で、子供たちの転園を決めました。
呪いが解けたら、自分の価値基準で人生を創る
子供を保育園に入れることもフルタイムの会社員で働くことも、私にとっては慣れ親しんだ価値観です。
決してその働き方を否定したいわけではありません。
でも、私がいま幸せを感じるために本当に必要なことではありませんでした。
そんな風に気づいたあとで振り返ってみると、「三代目」はちょっとした呪いだったなと(笑)
いまのワタシの幸せの基準
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いまでも、高年収でやりがいをもって働き、稼いだお金でぜいたくな暮らしができる人にはすごく憧れます。
フリーランスとして、いつか大稼ぎできたらなぁなんて妄想もします(笑)
でもそれ以上に、
自由な時間の中で、自分の興味を探求できることや、
子供をのびのびと育てること
夫婦で仲良く楽しく生活できることに幸せを感じます。
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わが家は、夫婦ともに
「お金が沢山なくても楽しめるタイプ」だったのも大きいです。
今後も、優先順位を見直すタイミングは出てくるでしょうが、
なるべく自分の気持ちに素直に生きたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。